ユナイテッド退団選手について語ろう 22/23シーズン編

 前回はたくさんの方に見ていただき嬉しかったです!さて、人数が多い22/23の退団選手です。どうぞ!

22/23

アンドレアス・ペレイラ

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ユース時代にPSVからユナイテッドに加入した彼。プレミアデビューしたシーズンから、スペイン2チームへのローンののち18/19は計23試合、19/20は計40試合に出場と一定の地位を確立した。運動量とボールテクニックは長所であったが数字に結びつくことはなかった。19/20シーズンの冬にブルーノフェルナンデスの獲得があり、ポジションを奪われ、もう一度ローンに。そしてラツィオ、フラミンゴへのローンがあった。

そして、22/23にフラムへ完全移籍。9.5Mユーロでの移籍劇であった。フラムではミトロビッチの後ろのトップ下として起用されており、2G6Aと活躍を見せている。セレソンにも招集経験がある彼のキャリアに注目だ。

タヒス・チョン

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こちらもユース時代にオランダからユナイテッドに加入したMF。彼はスールシャールに抜擢されてPLを5試合EL6試合出場した。特にELでは2アシストを記録するなど将来を嘱望されていた。20/21シーズン初めからブレーメンに移籍するも途中出場が多く、クラブブルージュにレンタル先を変更。そして21/22はバーミンガムにローンとなった。髪形がトレードマークでアフロというかドレッドというかという印象を強く与えた。ファーストチームデビューしてすぐにはユベントスやインテル、レアル・マドリードが興味を示していると報道があった。

ローン先のバーミンガムに22/23シーズンそのまま買い取られた。移籍金は2Mユーロ弱。将来を期待されたがイメージよりスケールダウンしてしまったという印象だ。

ジェシー・リンガード

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ユナイテッドユースから国内下部チームへローンでシニアでの出場機会を得たのち、15/16にファンハールに見出されトップチームに定着。そこから4シーズン連続PL20試合出場と一定の立場を得るが、20/21シーズンはブルーノフェルナンデスにポジションを奪われ出場機会がなくなり、モウリーニョスパーズへの移籍が持ち上がるも、冬にウエストハムへローン。そこで半年ながら9G5Aと大活躍をみせ、その次のシーズンはスールシャールの構想に入り、後半途中から入るジョーカー役に。契約延長を打診したもののフリーで退団となった。その後一年契約でノッティンガムフォレストへ移籍した。

私個人の彼への感想としては、スールシャール期前半、不調の時期が印象に残っている。その時期、彼はアパレルブランドを立ち上げており、本業に集中しては?という批判も多かったが、実際は母親の鬱の看病と、若い弟と妹の世話をしなくてはならなかったらしく、リンガードのメンタル面を不安定にさせたという内情があったようだ。

特徴的なゴールパフォーマンス、プレイ面では運動量やプレスの量、ノっている時の華麗なドリブルやミドルシュートがとても脳裏に焼き付いている。

ネニャマ・マティッチ

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モウリーニョと共にチェルシーでプレイし、そのモウリーニョがユナイテッドにやってきて一年後の夏の移籍市場で約45Mユーロで入団した。その5シーズン影響力を確保し続け、晩年にはチームリーダーの1人として模範的に振る舞っていたという報道もありいい選手であり続けた。個人的にはポグバと組んでいたダブルボランチが好きで、守備的かつ起点となるマティッチと創造的なプレーをするポグバのコンビは見ていて惚れ惚れしていた記憶がある。(若干脚色されている気もするが)9210さんを筆頭に若返ったマティッチが欲しいとサポーターから思われ続けていた。

そして、またもやモウリーニョが監督をしているローマに移籍。そこでもポジションをベテランながら確立しているようで、ジャパンツアーにも同行した。

ポール・ポグバ

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元々ユナイテッドユースでファーガソンがじっくり育てていこうとしていたところをライオラがユベントスへフリーで連れて行ったことから彼の因果は動き出す。ユベントスで名将コンテ、アッレグリ監督の元世界有数のポテンシャルを持つ若手スターとなり、ユナイテッドに帰還。その時の世界最大の移籍金記録となった。獲得当時の実績は間違いなくその金額を証明するものだったが、ユナイテッドではそのポテンシャルを充分に発揮できないまま退団してしまったように思える。確執が報じられたモウリーニョの元での数字が最もよかったのは皮肉であるが。

彼の思い出は派手な髪型や怪我、ジダンのいるレアル・マドリードに行きたがると、ピッチ内以外の記憶も多い。また、最も粕谷さんを振り回した選手であり、ポグバは必要、不必要、やっぱり必要、クラブから出ていけ、コーチ陣が悪い、と書くたびに評価が変わっていた。これは粕谷さんが悪いのではなく試合ごとに調子の波が激しかったことがおそらく原因である。

結果として何度かの交渉の末にフリー退団が決まり、ユベントスへ戻っていった。そのユベントスでは怪我の影響で試合に出ておらず、世界中のユベントスサポーターの心を落胆させてしまっている。実力があるのは間違いがない、このままで終わる選手ではないと信じている。

エディンソン・カバーニ

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PSGからフリーで市場に出た彼の獲得が決まった際に大手を広げて喜んだ日本でのユナサポは少数派だったと記憶している。実績は十分、もう申し分ない。だが、何より年齢。入団時33歳。そしてロナウド退団後呪われている背番号となっていた7番を背負うことに不安を感じていたのは少なくなかったででしょう。それに入団タイミングが移籍期間の最終日であったし。

しかし、入団時に抱えていた不安を跳ね返したのは彼の献身的なプレイと得点能力。初年度は17ゴール。そしてネガトラ、プレッシングに走るプレーはファンの心を掴んだ。そして契約延長をつかんだ、二年目。しかし、タイミングでCR7が入団したことで背番号も21に変更され、怪我もあり出場機会も激減。しかし、たまに出る試合での守備の献身性の高さはファンを喜ばせた。

そして、フリーでバレンシアに入団。ここまで7ゴールをあげ活躍を見せているようだ。これからの彼のキャリアに期待だ。

ファン・マタ

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モイーズ政権での数少ないポジ要素であったのがマタの加入。45Mユーロは当時にしてはなかなか高い移籍金であったが(同じシーズン移籍したイグアイン、ウィリアンより上の6位)9シーズンも働いてくれたので感謝の限りだ。モイーズ、ファン・ハール、モウリーニョには試合で起用され続け、スールシャールになってからは出場機会は減ったものの戦力の一つとして重宝されていた。スペイン代表でユーロとワールドカップ、チェルシーでCL、EL制覇など輝かしい実績を残す素晴らしいベテランとしての動きを見せてくれていた。

プレーで印象に残るのは2015年のリヴァプール戦2ゴールを挙げた試合だが、特に綺麗なボレーシュートは今でもリフレインされる。プレー以外ではチームメイトが誕生日の時に選手の幼い頃の写真を載せて祝うことでも親しまれた。

そして、フリーでトルコのガラタサライに移籍、すでに契約延長を打診されているとの報道もあるなど馴染んでいるようだ。

リー・グラント

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主にチャンピオンシップでキャリアを過ごしてきたイングランド人のベテランはユナイテッドで引退を決めた。ユナイテッドにきたからはGKの三番手や四番手であったため、正直試合での思い出は少ない。しかし、ELでのアスタナ戦アウェーでたくさんの若手たちと共にピッチに立ったことは印象に残っている。

引退後はコーチとして活動する、という報道を確認して以来、詳細はよくわからないがどのような人生を送っているか続報を待つ。

クリスティアーノ・ロナウド

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世界最高のフットボーラーは在籍するクラブを非難するという悲しい終わりをもってヨーロッパでのキャリアを終えた(出戻りの可能性が0ではないことはそうだが)

入団の経緯は素晴らしいものだった。マンシティに行きかけたところをファーガソンがユナイテッドに来いと勧誘、それと同時にクラブ上層部はスポンサーからお金を引き出し、監督も了解。サンチョ、ヴァランと豪華な補強の決め手にCR7がなると思われた。

デビューでのニューカッスル戦で2ゴール、CLグループステージでは出場した全試合で得点を挙げるなどシーズン24ゴールと活躍を見せた。しかし、クラブはスールシャールが解任、暫定監督のラングニックも選手からの信頼を勝ち取れずクラブは空中分解しているとの報道も多くなった。前からのプレスと得点能力をCR7は両立できないという見方がサポーターからも増え、彼の起用法が監督を悩ませていることは間違いない状況でクラブはリーグ6位で終えらのであった。

そしてテンハーグ監督が22年夏に就任。しかし、家族の事情で練習に参加できず、やっとベンチ入りしたプレシーズンマッチでは途中で帰宅してしまうなど監督そしてチームメイトとの溝は増えていってしまった。そしてCLに出場できないクラブにも嫌気がさし、代理人に移籍を決意したことを伝えた。いくつかの移籍の可能性があったものの結局は退団できず残留。

そして合計16試合3G2AとCR7にしては振るわない数字を残し、ワールドカップに突入するところでクラブと監督を批判したインタビューをして、その数日後に双方合意で契約解消。CL出場を目指して移籍を模索したと報道されたがサウジアラビアリーグに莫大な年俸をもって移籍していった。


ここまで読んでいただきありがとうございました。はてな時代にさけしさんにコメントをいただけた時は本当に嬉しかったです。さて、最後にTwitterでの拡散にご協力いただけた方、ありがとうございます。本当に読んでいただきありがとうございました。

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